僕がカナエールを手伝う理由 「皆でやることだからこそ、1人1人がどれだけできるか」

「NPOのことを教えて欲しいのだけど。。。」久し振りの友人に連絡したのが、ブリッジフォースマイル、カナエールとの出会いでした。ちょうど当時手伝っていた学生時代からの友人が、それまでにやっていた社会福祉事業を株式会社からNPOに切り出すという時に、相談に乗るにも僕がNPOのことをまだまだよくわかってないなと思い、食事がてら他の事務局スタッフとともに話をしたのがきっかけでした。

ミイラ取りがミイラになります。

僕が運営するインタビューサイトで取材したこともあった植村百合香さん(現カナエール東京・横浜実行委員長)から、観客として出かける予定だったカナエール 2013の開催1週間前に電話があります。「お願いしたいことがあるんですが。。。」「撮影?」「エスパー!!!」。こうして僕とカナエールの少し長い付き合いが始まりました。

翌年から実行委員会のメンバーとして関わるようになりました。任されたのは撮影、それから僕が本業にしているWeb周りでした。クラブラグビーの運営側にはずっと関わっていたものの、いわゆる「社会のためのボランティア」みたいなことに関わるのは初めての経験。少し気恥ずかしい感じもありつつ、どんな空気なんだろうと思っていたけれど、案外、早く打ち解けられました。

課題はたくさんありました。特に僕が実行委員会に参加した2014年は初めてカナエールが東京・横浜・福岡に開催を広げた年。カナエールのことも、児童養護のことも、子どもたちのことも、まだまだよくわかってない状態。ただやらなければいけないことはたくさんある。先述の植村さんをつかまえて、とにかく勉強する日々でした。言葉選び一つとっても、カナエールの呼吸があって、それは何か体得というか、新しいスポーツを覚えることのようでした。Web、印刷物、作らないといけないものもたくさんあり、最後は朝までオンラインで話しながら作業をすることもしばしばでした。

 

ちょっと僕の話を。

22歳、大学の卒業が決まり、就職先に勤め始める手前、統合失調症という病気になりました。もう15年前のことになります。社会人になる寸前でした。学生時代、学生をしながら仕事もしていて、普通より少し緊張が続く状態が長く、神経が過度に疲れてしまったんだと思います。統合失調症という病気はなかなか理解が難しい病気ではあると思うのですが、幻覚・幻聴・妄想など、平常に社会生活を営むのがなかなか難しい状態。なかなか平静な日々を取り戻すことができず、病院で1年ほどの入院生活を送ることになりました。内定していた就職先は、諦めることになりました。

病院では集団生活です。休む、ことがとても重要なのですが、神経が逆立った状態から、間違った理解や思い込みを1つ1つ剥がし、もとの自分を取り戻すにはとても時間がかかります。順番待ちのお風呂に早足で向かうこと、ガットに穴の空いたラケットでバトミントンをすること、週に一度の散歩でお小遣いの500円で喫茶店のコーヒーを飲むこと、他の患者さんとよく話したこと、そんな習慣はなかったのに、いつしか食事の前に手を合わせるようになったこと。他愛もないことを良く覚えています。楽しい思い出、なわけは到底ありませんが、得難い経験をしたのも事実。自分を見つめ直す、ってどういうことなのかよくわかります。その時の経験は、社会に出てしばしば、友人知人の周囲で起こっていることや、同じような疾患を抱えている人たちの支援をする仲間の助言にも役に立ってはいるので、あながち無駄な経験とは言えません。

その後、しばらくの休眠期間を置いて、25歳の時に個人事業をスタート、13年ほど経つ今、事業を株式会社化して5年目を迎えます。選択肢が他になかったわけではないですが、仕事をするために面接を受けようにも、病気の話をすれば体よく断られるし、なかなか同じ状況から正規の就労経験なしに、就職をした同世代のケースも知りませんでした。幸いにして学生時代にWebの仕事を4年間していたので、友人から仕事の相談があったのをきっかけにゆっくり社会復帰を始めましたが、今、振り返ると、その後の色々な方々との付き合いも含め、運が良かったなと素直に思います。

実は子どもたちが親を頼れない理由に、統合失調症というのはしばしば出て来ます。ともすればこれが、虐待の理由になっていることもあります。現場でそれを耳にする時、動揺はしませんが、気持ちが少しざわざわするのも確かです。カナエールを実行委員として手伝うことになった時に、なるべく対人支援からは距離を置こうというのは、何となくありました。この病気に関することがなかなかデリケートだということと、そのことが子どもたちの挑戦のノイズになるのは嫌だなということ。5年も関わっていると、「コースケさんはエンパワ(社会人ボランティア)やらないんですか?」と聞かれることもありましたが、「今、僕がやってる仕事が面白いんで」というような受け答えをしていました。僕は実行委員の中でも珍しい部類に入る「エンパワ未経験者」です。

ただ、適当な答えを返していたわけではなく、5年経った今でも、カナエールの中での自分の役割はとても面白く、ここでこそ自分の能力を発揮できる、と思って、カナエールを伝える・広めることに注力して関わっています。餅は餅屋と言いますが、自分の仕事のスキルや経験の延長線上に、社会貢献や子どもの支援を置けることは、恵まれているとも思えます。

親を頼れない子どもたち。22歳の時の自分を振り返ると、本当にまずい時に、頼りにしたのは親でした。親が頼みだった、という言い方の方がニュアンスが適切かも知れません。勿論、お世話になった友人、知人、ラグビーのチームメイトも多くいます。ただやはり一番まずい状況が落ち着いて、少しずつ普通の生活に戻れるようになるまでは(病院を出ても、最初は喫茶店に10分と座ってられないような、そんな状態でした)、親を頼らざるを得ませんでした。残念ながら、僕にあっては当時の社会システムはあまり役に立ちませんでした。それより、親、友人、チームメイト、そういうものに支えられて今に至ります。

自分がある意味で社会のレールを一旦外れて、社会復帰をするために、どうにも頼らざるを得なかったのが、親。一方、この5年間に関わって来たのは、親を頼れない子どもたち。最初こそそういう気持ちはなかったですが、いつしか自分が頼ったものを頼れない子どもの支援に関わる、って自分にとっても意味があるのではないかと思うようになりました。ある意味、真逆のことだから、共感するとか、気持ちがわかるとか、そういうことではないのだけれど、多分、僕が社会復帰するために必要だったことと、この子たちにこれから必要なものは同じだろう、そんな風に思うようになったんですよね。

力、と、頼れる人、じゃないかなと。会社、という組織に頼れない、フリーランスとして仕事をしていくためには、力、が必要でした。学生時代に身についていたものもあれば、社会人になってから身につけたものもたくさんあります。多くを仕事を通して学んで、仕事をすることで力を蓄えていきました。勿論、仕事以外、プライベートもスポーツも。もう一つは頼れる人。少しずつ、少しずつ、関わる人は増え、年を重ねるごとに人間関係は豊かに育ちました。頼るって別におんぶにだっこ、ってことじゃないと思うんですよね。その人に信頼を置いておける、ということだと思います。それがとても自分を律していくための支えになる。

カナエールは今年最後の開催になります。5年間、関わってきて、ここで幕引きです。僕自身は非営利の分野での職能の活かし方を覚えられたということと、カナエール以前より、子どもにかかることへの関心が高まったことは確かです。デザイナーとしても、ラガーマンとしても、「シニア」と呼ばれる年齢になって(大体、35歳過ぎるとそう呼ばれるようになります)、5年前とは随分視界に見える景色が変わったなと思います。カナエールを通じて、実行委員、社会人ボランティア、ブリッジフォースマイル事務局、そして、外部のたくさんの方々と一緒にカナエールというプロジェクトができ、得難い経験をたくさんできました。

皆でやることだからこそ、1人1人がどれだけできるか、ということが問われるのだろうと思います。カナエールというのは、とても大きなチームです。本当に多くの人が関わって来ました。だからこそ、1人1人がどれだけできるか、自分は何ができるか、もう一度きちんと向き合ってみたい、そんな気持ちで、珍しく自分語りの記事を書きました。

自分一人で身につける力より、色々な人との関わり合いの中で身につける力の方が、価値があるというのが、僕の実感です。今年の子どもたちが、たくさんの頼れる人たちと関わる中で、「力」を身に着けて欲しいなと思います。夢を叶える力を育む。最後の開催、どうぞ会場にいらしてください。子どもたちが一番たくさんの頼れる人たちと関わる機会です。

 

この夢は忘れない、プロジェクトの7年間には満たないけれど、僕も5年間を振り返ると、ありがとう、という気持ちです。

 

実行委員:コースケ

 

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